2015年8月20日木曜日

沖縄でのゲリラ戦 軍人勅諭が少年兵にも押し付けられていた

昨晩、NHKの再放送番組「戦争の真実をアニメ化」というのを見ました。不足した兵士を補うため14歳以上の沖縄の子どもを名目「志願」という形でゲリラ戦兵士として戦わせた。その中で、陸軍中野学校出の兵市から「(敵を)10人殺したら死んでもいい」と諭されたり、「お国のために死ねるか」と聞かれたら即座に「はい」と答えさせられる場面もあった。

戦争が国を狂わせた、人を狂わせた・・・というくだりがあったと思う。

けれども、1889年(明治22年)2月11日に公布、1890年(明治23年)11月29日に施行された、大日本帝国憲法より、早い1882年(明治15年)に1878年(明治11年)10月に陸軍卿山縣有朋‎が全陸軍将兵に印刷配布した軍人訓誡が元にしてつくられたという明治天皇の名での軍人勅諭が大きな役割を果たしている。

その中で第一の項で
:一 軍人は忠節を盡すを本分とすへし凡生を我國に稟くるもの誰かは國に報ゆるの心なかるへき况して軍人たらん者は此心の固からては物の用に立ち得へしとも思はれす軍人にして報國の心堅固ならさるは如何程技藝に熟し學術に長するも猶偶人にひとしかるへし其隊伍も整ひ節制も正くとも忠節を存せさる軍隊は事に臨みて烏合の衆に同かるへし抑國家を保護し國權を維持するは兵力に在れは兵力の消長は是國運の盛衰なることを辨へ世論に惑はす政治に拘らす只々一途に己か本分の忠節を守り義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも輕しと覺悟せよ其操を破りて不覺を取り汚名を受くるなかれ

命を惜しまずということを強調している。私の小学校時代「烏合の衆」という言葉を使う大人がいましたが、陸軍では軍人勅諭全文を暗唱させる傾向があったとのこと。

ともかく、軍人勅諭の精神が大日本帝国憲法に引き継がれ、1890年(明治23年)10月30日に発布された教育勅語にも受け継がれているというべきでしょう。

戦前の日本の暴走は、軍人勅諭(1882年(明治15年))から準備されていたというべきだと思う。
だからこそ、戦争への最初の一歩、平和に反するつまずきを許すことはできない。

下記のアドレスでNHKの戦後70年の沖縄戦のページが見られます。

http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586683/

0 件のコメント: