2015年8月28日金曜日

「昭和の動乱」ということばがある。

 昭和20年の終戦までの、やみくもに戦線を拡大し、1941年(昭和16年)真珠湾奇襲の後、米英に宣戦布告し、その後は戦況悪化一途というべき状況となり、諸外国への犠牲、被害とともに、日本も壊滅的な状態となった経緯を思うとき、単に昭和の時代を分析することも大事だろうけれど、当時の法制度と教育が確立された明治時代を考察することも極めて大事でないかと思うようになった。

山縣有朋の果たした役割も相当顕著に思われる。専制と弾圧の推進者とみる。
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そして軍人勅諭、大日本帝国憲法、教育勅語の3つが一体となって軍国主義推進の役割を果たしたみるべきでしょう。

法制度と教育。いままさに、日本近代史を高校で必修化させようとの動きが伝えられている。
どのように軍国主義化がすすめられたのか、この考察は大切と思う。

 

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