今、戦争する国への転換をはかろうとする政府、中谷防衛 大臣などが「日本存立の危機」などという言葉を使ってい る。
1905年の日露戦争終結から1945年の戦争終結まで の40年間は、それまでの富国強兵政策がさらに強まり、 日露戦争で功績をあげたという意識の強い陸軍、海軍が政 府に揺さぶりをかけながら、国家をあげて当時の列強(世 界の諸大国)にひけをとらない一等国になる、そのために 軍備も増強するし、教育、文化もその国策に従うものは賞 賛し、批判的なものは「軟弱思想」とか「危険思想」とい うレッテル貼りをして弾圧を強めていった。
強権政治はこの40年間、苛烈を極めた。「国家存亡の非 常時」という言葉が広まり、時局をわきまえないと目され る文化も言論も弾圧された。...
司馬遼太郎の「この国のかたち 一」という本があり、そ の中の「3 ”雑貨屋”の帝国主義」で日露戦争の講和に反対して戦争 続行を叫んだ日比谷焼打ち事件が起こった。新聞の果たし た役割についてもふれられている。
自身の軍隊経験もふまえて「こんなばかな四十年を持った 国があるだろうか」と司馬さんは書かれ、その後、これを 読んだ若い人が日露戦争終結前後の歴史を振り返る著作も 出版されたよう。
今、ほんとうに日本の近代史をきちんと学び、伝えること が大切だと思う。
1905年の日露戦争終結から1945年の戦争終結まで
強権政治はこの40年間、苛烈を極めた。「国家存亡の非
司馬遼太郎の「この国のかたち 一」という本があり、そ
自身の軍隊経験もふまえて「こんなばかな四十年を持った
今、ほんとうに日本の近代史をきちんと学び、伝えること
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