今日の国会中継でみましたが、安倍首相が「国民の幸福を追求する権利を守るために、この安保(戦争)法案の成立が必要」という説明をしていた。
戦前、「軍備が外交をすすめる上でも十分なものでなければ、ならない」というような主張もあったよう。
「備えあれば憂えなし」というのは軍備の増強や戦争準備を進めるときに、使われてきたようだが、平和をまもるという面ではあてはまらないことがこの国の近代史が教えている。
戦前、「国防意識」といい、「時局」という言葉で、危機意識をあおったけれど、今、同じような手法で人々を沈黙させたり、思考停止させることはできない。
日本には、1905年の日露戦争終結の際に、新聞が講和の条件が十分でないと、戦争続行を叫び、日比谷焼打ち事件が起こった歴史があることを司馬遼太郎は、晩年の著書「この国のかたち 一」でとりあげ、「魔の季節」(1905年~1945年)の起点(今風にいえばターニングポイント)と位置付けた。
司馬さんは晩年(1986年当時)、この国の将来を相当、憂えておられたと思われる。
ともかく1905年から110年たった今、再びこの国を暴走させてはならない。
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