戦後70年 この時期に明治以後の近代の日本の歩みを振り返ると、日本の支配層の政策、文化・教育政策の無節操が見えてくる。
明治の近代化のもとでの「脱亜入欧」、日露戦争勝利後(1905年)後の「排外主義」「国粋主義」、まちがった「日本精神」の助長や、太平洋戦争突入後の「鬼畜米英」というようなおよそ異常としか思えない風潮を助長した歴史がある。
戦後、日本国憲法を制定し、国際社会で平和国家、民主国家をめざすと再出発したが、米国との同盟関係を異常に強める方向が続けられてきた。
米国からの圧力があったにせよ、主権国家としての立場より従属する姿勢が続けられてきた。米国とだけの協調路線が国際社会での日本の評価を「国連での米国の投票マシン」というようなものとしてきた。原水爆禁止の問題でも被爆国としての毅然とした主張が政府として、なされずにきた。
中曽根内閣(1982~1987)での首相の訪米時の「日米は運命共同体」「日本列島不沈空母・四海峡封鎖」などの発言もあった。
国際社会での特にアジアの近隣諸国との友好関係を軽視することは、明治以後の教訓に学ばないことといえる。
今、政府が日本近代史の高校での教育を必修化としようとの動きがあるが、眼時以後の戦争を正当化(国際社会での自国の立場を主張できる)しようとの意図がみてとれる。
この問題も軽視できない。
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