「森友学園」問題は国有地の格安払下げ問題だけでなく、すでに運営されている幼稚園でも種々の問題点が報道されている。戦前の「教育勅語」を集団で暗唱させている場面も報道された。戦後の憲法にもとづく教育で決して復活させてはならないと国会で決めた教育法が今日の幼稚園教育で実行されていたことにみられる同園の教育方針、教育のありかたも重大問題である上に、これを礼賛する現職閣僚がいることや、これを積極的にあらためさせようとしない監督庁も大問題だ。
憲法違反の教育や人権侵害の保育が放置、放任されるなら監督庁や国も憲法違反となる。
憲法違反の教育や人権侵害の保育が放置、放任されるなら監督庁や国も憲法違反となる。
以下は3月14日付しんぶん赤旗の「主張」(他紙の社説のような記事枠)
なお、赤旗主張は日本共産党のホームページで見られます。
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http://www.jcp.or.jp/akahata/web_daily/html/column.html
2017年3月14日(火)
主張
教育勅語称賛発言
取り戻したいのは戦前なのか
国有地の「格安」売却疑惑の渦中にある「森友学園」の幼稚園で園児に教育勅語を暗唱させていることが問題になっている中、稲田朋美防衛相が国会で「教育勅語の精神を取り戻すべきだ」などと称賛する答弁をしたことに批判が上がっています。教育勅語は戦前、子どもたちに「天皇のために命をささげる」ことを教え込んだ軍国主義教育の主柱です。その精神を「取り戻す」と公言してはばからない稲田氏の防衛相としての資質がきびしく問われます。
「天皇のため命投げ出せ」
教育勅語は戦前の教育の基本原理を示すものとして1890年に明治天皇の言葉として出されました。その本質は結論部分にあたる「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以(もっ)て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」、つまり「重大事態があれば天皇のために命を投げ出せ」ということにあります。前段に親孝行や兄弟仲よくなどの徳目が並んでいますがそれらはすべて天皇への命がけの忠義に結びつけられています。
戦前の教育では勅語の精神が徹底して子どもたちにたたき込まれました。元日や「紀元節」(2月11日)などの儀式で校長が「奉読」し、その間はせき一つすることも許されませんでした。子どもたちは一字一句間違わないように暗唱させられ、「修身」などの授業も勅語に則して行われました。こうして天皇と国家への忠誠を植え付けられた若者たちは、自らの命を捨て、相手の命をも奪う侵略戦争に駆り立てられたのです。
敗戦後、戦争への痛苦の反省から、「個人の尊厳」を保障する憲法と「真理と平和を希求する人間の育成」を目指す旧教育基本法(2006年に第1次安倍晋三政権が改悪)が制定されました。教育勅語は憲法の理念に反するとして1948年に衆議院で「排除決議」、参議院で「失効決議」が採択されました。参議院の「失効決議」は憲法・教育基本法制定で「(戦前の)教育の誤りを徹底的に払拭」し「民主主義的教育理念をおごそかに宣明した」結果、教育勅語は廃止され効力を失っていると強調しています。
「教育勅語が戦争への道になって問題を起こしたという認識はあるか」と国会で問われた稲田防衛相は「そういう一面的な考えはしていない」と答えました。戦後に教育勅語が失効した意味を理解しない人物が自衛隊を指揮・監督する防衛相を務めていることは深刻です。稲田氏はかつて月刊誌上の討論で、最後の一行まで「教育勅語の精神は取り戻すべき」と明言しています。戦前と同じ発想で若者を戦争に駆り立てようとでもいうのか―。あまりに危険です。
首相の姿勢も問われる
第2次安倍内閣以降では、3年前にも当時の下村博文文部科学相が教育勅語を「中身はまっとう」と美化しました。政府は従来、「教育勅語を教材として使うことは考えられない」としてきましたが、安倍内閣は「(勅語の暗唱などに関しては)個別具体的な状況に即して判断される」と後退させる答弁書を閣議決定しました(7日)。
「森友学園」の教育を持ち上げてきた安倍首相夫妻の姿勢も問われています。偏狭な「愛国心」を押し付ける「道徳の教科化」などとも表裏一体で、「戦争する国」につながる教育勅語美化の動きを許さない世論と運動が重要です。
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