2013年1月6日日曜日

伊能忠敬 今も中高年を励まし続けています


伊能忠敬 多くの方がご存じの名前と思いますが、50歳で相当な資産を築いて、家業をすべて長男に譲り、幼い頃から興味を持っていた天文学を本格的に勉強するために現在の千葉県から当時の江戸へ出、幕府の役所のひとつであった浅草の天文方暦局に入り、32歳の当時の天文学の第1人者、高橋至時(よしとき)の門下生となったという。
 
オランダの書物から地球が丸いということを知っていたが、その大きさ(直径)を知りたい、ということから、北海道へ行き、江戸との北極星の高さ(角度)と江戸と北海道の観測地との距離がわかれば、地球の大きさがわかるということから、地図を作るための測量(歩幅が基準)をしながら55歳(56歳の記述もある)の時に、徒歩で北海道に向かい、3年間かけて東日本を測量して、江戸に帰っている。
 
その一日は、昼間は相当な距離を歩きながら測量、夜は宿で、そのデータをまとめ、天体観測し、誤差を修正したという。
 
その後の彼の辿った足跡はご存じ方も多いと思います。
 
彼の軌跡は、今も現代に生きる私たち中高年を励まし続けている。 
 
(写真は、1月4日の午前11時頃の姫ケ池)
 

0 件のコメント: