spring has come は戦前、戦中、言論の自由がきびしく規制され、若者が戦争で死ぬことが当然のような、希望を持ちにくい時代に多くの青年がノートの余白に書き記したり、独り言のように口にした言葉だと、昔に聞いた。
今の若者も、時代状況は大きく変わっているが、就職や社会のありかたなど、多くの点で納得いかないというか、やるせない気分が広がっていると思う。
最近、2008年12月に亡くなった加藤周一さん(9条を守る会の呼びかけ人のひとり)の“日本人の「今が良ければいい」という気風に警戒すべきだというメッセージを残されていたことや、映画「しかし それだけではない。 加藤周一 幽霊と語る」の作品紹介で、戦時中、源実朝に自らの運命との共通性を感じたとある。
時により過ぐれば民の嘆きなり八大龍王雨やめたまへ
が実朝の歌であることぐらいしか知らなかったが、正岡子規がその著「歌よみに与ふる書」で、冒頭から・・・和歌は・・・・万葉以来実朝以来一向に振ひ不申候。・・・・・以下、人物としても高く評価されている。古今も新古今も・・・・・・である。
もとより門外漢であり、昔に「吾妻鏡」をマンガで読んだことがある程度だが、志というのか、人間としての魅力という面で実朝をともに評価されているよう。
戦後、出版や知識人が、戦争政策に協力して進んでいったことへの反省などで、日本が科学技術などだけでなく、思想、文化、芸術でも多くの人々の間で高まっていくことが大切で、そのために積極的な役割を果たしていこうという気運があった。
今のテレビ、新聞などの政治報道は、時流におもねず、媚びずという姿勢が感じられないものが多いと感じているのは、私だけではないと思う。
まじめな批判精神なしの、視聴率偏重の報道は、もっと多くの人の批判がむけられるべきだ。
大多数の人々への情報提供が民放を含めて、軒並み、手放しの時事報道という状況では、戦後の出発点を見つめること、学びなおす取り組みが必要ではないか。
若者が希望をもてる社会というのは、前途に理想が絶対に必要だと思う。
それにしても、加藤周一さんの言葉はあらためてかみしめたい。
(写真はイチョウの若葉、もしくは新芽)
実朝の金槐和歌集は今は絶版で昭和25年朝日新聞社発行のものぐらいしか手に入らない。
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