2010年4月28日水曜日

我が家の鯉のぼり


今朝、ベランダにとりつけたミニ鯉のぼり。
晴れが続くといいのですが。

2010年4月27日火曜日

交通事故ゼロを願う その2

今日の民生常任委員会で、最近の町内での交通事故について報告を受けた。
先週の土曜日朝には、大貫の三木宍粟線交差点で青信号で横断歩道を自転車で渡っていた中学生が東向きに走ってきた自動車(信号が逆光でみえなかったとか)にはねられた。幸い、すでに学校に通学されているということだが、東京などの大都会のように青信号になっても、近づいてくる車が停車するのを確認してから、渡りはじめる習慣を身につけた方がいいかもしれない。

昨日、夕方の東中学校の北西での事故は、接触事故でかすり傷程度であったことは幸いだ。

26日未明の国道312号線、西田原の交差点での事故は軽乗用車の方が重体との新聞記事がでていた。

安全対策をすすめると同時に、信号だけでなく、接近してくる車にも注意しながら歩行者が渡る習慣を学校等の場で身につけてもらうことも考えなければならない。

2010年4月26日月曜日

交通事故ゼロを願う


最初の写真は県道三木宍粟線の焼き肉の牛太の西から南へ「ひまわり荘を越えたところのカーブを南から見たもの。
2枚目は同じカーブを北から見たもの。
最近2度、北からこのカーブにさしかかり急ブレーキを踏んで、止まった。
役場の担当課に話して、既存のカーブミラーに注意の看板をつけなおしたり、カーブ注意の矢印を付けてもらった。
南北から同時にこのカーブに差し掛かるとカーブミラーから北の道幅が急に狭くなっていて、衝突しそうになる。
夕方、八反田余田線と東中学校の東の交差点から北の道の小さな交差点での警察の交通事故調査にであった。
こどもがけがをしたとのこと。
詳しくは明日、役場で聞けると思うが、以前から危ないところで、少し前に足形のマークを描いてもらったところ。
「事故多し 注意」の看板でも考えなければいけないか。


2010年4月25日日曜日

クローズアップにしかたえない庭で


今朝、小さなもみじの木の傍らに咲いていました。
花が終わるまでは、このままに。

2010年4月24日土曜日

spring has come 21世紀の今も



spring has come は戦前、戦中、言論の自由がきびしく規制され、若者が戦争で死ぬことが当然のような、希望を持ちにくい時代に多くの青年がノートの余白に書き記したり、独り言のように口にした言葉だと、昔に聞いた。


今の若者も、時代状況は大きく変わっているが、就職や社会のありかたなど、多くの点で納得いかないというか、やるせない気分が広がっていると思う。


最近、2008年12月に亡くなった加藤周一さん(9条を守る会の呼びかけ人のひとり)の“日本人の「今が良ければいい」という気風に警戒すべきだというメッセージを残されていたことや、映画「しかし それだけではない。 加藤周一 幽霊と語る」の作品紹介で、戦時中、源実朝に自らの運命との共通性を感じたとある。
時により過ぐれば民の嘆きなり八大龍王雨やめたまへ
が実朝の歌であることぐらいしか知らなかったが、正岡子規がその著「歌よみに与ふる書」で、冒頭から・・・和歌は・・・・万葉以来実朝以来一向に振ひ不申候。・・・・・以下、人物としても高く評価されている。古今も新古今も・・・・・・である。
もとより門外漢であり、昔に「吾妻鏡」をマンガで読んだことがある程度だが、志というのか、人間としての魅力という面で実朝をともに評価されているよう。
戦後、出版や知識人が、戦争政策に協力して進んでいったことへの反省などで、日本が科学技術などだけでなく、思想、文化、芸術でも多くの人々の間で高まっていくことが大切で、そのために積極的な役割を果たしていこうという気運があった。
今のテレビ、新聞などの政治報道は、時流におもねず、媚びずという姿勢が感じられないものが多いと感じているのは、私だけではないと思う。
まじめな批判精神なしの、視聴率偏重の報道は、もっと多くの人の批判がむけられるべきだ。
大多数の人々への情報提供が民放を含めて、軒並み、手放しの時事報道という状況では、戦後の出発点を見つめること、学びなおす取り組みが必要ではないか。
若者が希望をもてる社会というのは、前途に理想が絶対に必要だと思う。
それにしても、加藤周一さんの言葉はあらためてかみしめたい。
(写真はイチョウの若葉、もしくは新芽)
実朝の金槐和歌集は今は絶版で昭和25年朝日新聞社発行のものぐらいしか手に入らない。

第4回民俗辻広場まつり






















今日、民俗辻広場まつりに出かけた。
天気に恵まれた。
今年のまつりは、イベントプログラムがもりだくさんになっていた。
写真は山田文庫キッズダンスのようす。
柳田國男の「遠野物語」出版100周年ということが、案内チラシやイベントの中で、うまく押し出されていてもよかったかとの感想をもった。
各種イベントに出演の皆様、バザーやスタッフの皆様、お疲れさまでした。

2010年4月23日金曜日

今年はショパン生誕200周年 あらためて聴いてみる


今年は、ショパン生誕200周年ということで、世界文化社からCD(ピアノ協奏曲第1番も含む全18曲収録・収録時間78分35秒と極めて異色)付きのカラー写真でその生涯をたどる入門書が定価2100円(税込)と、これまた廉価で今年4月1日初版第1刷発行で出版されている。
収録曲はスケルツォ第2番を含む有名な曲が入っていて、演奏家は特に有名というわけではないが、まとめて聴けて、うれしいし、本のカラー写真を眺めながら聴くのもいい。
ショパン・・・  青春の息吹を感じさせると思うのは私だけではないと思う。
なお、「永遠のショパン」2枚組CDで全34曲収録というものもEMIから昨年12月にででているよう。こちらは「舟歌」ももちろん収録で、有名なピアニスト数人の演奏での収録のよう。そして定価2000円という。他にもお買い得な200周年記念のものはあるかもしれない。

2010年4月10日土曜日

庭の花





手入れを怠っている庭にも春が来ている。
草ひきなど、しなければと思う。

2010年4月5日月曜日

丸池の桜




今日、午後、丸池(上中島のごみステーションに隣接野池)を見ると、桜が咲いていた。
普段、桜がここにあるなんて気づいていなかった。

2010年4月4日日曜日

町観光協会主催の観桜会に出かけて







昨日午後、町観光協会主催の観桜会に子どもと出かけた。
仮設ステージでの演目は、いずれも子ども連れでも楽しめる内容だったと思う。
好天に恵まれ、出演のみなさん、接待のお茶など、また諸準備にあたられたみなさんの労が報われたと思う。お疲れ様でした。
ステージを多くのかたに見ていただける場所への設定など、通路になっている条件の関係でむずかしいとは思うが、くふうできないかなと感じた。

清掃登山は福崎町でも多くの住民に実践いただいている

清掃登山という言葉を普及させたアルピニストとして知られる野口健さん。1973年生まれ。
外交官の父とともに少年期を過ごし、学業は振るわなかったが、16歳でモンブラン登頂を果たし、7大陸最高峰登頂ということで大学を入学し、1999年、25歳でエベレストを登頂に2度の失敗の後、成功し、すでに果たしていた南極を含む7大陸最高峰登頂という当時、最年少の記録をあげられた。(その後2001年5月には石川直樹さんが22歳で達成。さらに2007年には米国女性のサマンサ・ラーソンさんが18歳で達成したという。この人の父親も達成 しているという。)

野口健氏は大学卒業後は、エベレストや富士山の清掃登山にも積極的に取り組まれていることは広く知られている。
外国の登山者が清掃活動に取り組まれている姿を見、また日本の登山者の放置ごみを見つけ、持ち帰ったことなどから出発していると聞く。
彼の著名人としての活動が社会に良い影響をもたらしている。
こうしたことはさらに多くの人に広く知られるべきだと思う。

彼が登山に目覚めた動機が、植村直己さんの著書を読んだこととされている。兵庫県人として、うれしい。
最近テレビで見た、自身の「テントも寝袋も嫌い」という素直な語り口はユニークだ。

行楽のシーズンを迎えたが、町内の日光山などは、毎日のように登られている方があり、落ちているごみの持ち帰りなど実践いただいていると人づてに聞いた。
実際に毎年恒例の7月の観光協会主催の清掃活動に参加しても、近年ごみの量が以前とくらべてはるかに少ない。
ごみを放置しない心がけと、日々、日常の多くの人の善意の支えがないと、山も川も楽しめる環境を保てない。
町内の施設や山、川などで、自身で処理できないごみを発見されたときは、町役場(☎22-0560)へ,、もしくは私の方(携帯090-1950-6319 か 
携帯メールk-ishino@softbank.ne.jp  )まで通報してほしい。
「ごみがごみを呼ぶ」というように、ひどくならない内にきれいにすることが肝要と思われる。

2010年4月3日土曜日

ユニバーサルデザインとか


2003年度から、上中島の各戸に自治会の活動として、町のごみステーションのカレンダーを上中島用として、日付と収集のごみの表(燃えるごみは毎週、火・金で収集しない日のみを表示)を作って配布してきた。
 「わかりやすいごみのカレンダーの配布は、今年はないのですか」との問い合わせがあり、3月31日の午前中に各戸に配布、午後に写真のように、ごみステーションにも取り付けた。
ラミネートしているので、雨もしのげるし、コピーしたので日焼けしない。
上の写真はA3、下の写真の右はA3を上下2枚に分割して継ぎ足している。(写真をクリックしていただけると大きくなります)

町のごみ収集体制は当地区が D ということなので少なくとも4ブロック以上あり、さらにその中で粗大ごみの関係で4グループ程度に分かれているが、町配布のカレンダーは4種類以上をつくっていることはわかる。


カラーでなくても、2色刷りで、さらに半期ごとでも、大きな字で読み取りやすい方向に経費を活用する方が、いいのかもしれない。



西光寺野ため池群(長池、桜池など)ため池百選に選ばれる





町内の長池、桜池(上池・下池)などが西光寺野ため池群として、ため池百選に選ばれたという。
長池に上の案内板が2か所にそれぞれ、桜池にも上池と下池の間の西側通学路のところに設置された。
写真をクリックしていただくと大きくなりますが、字は読めるでしょうか。

2010年4月2日金曜日

メイストリームより早く、春の荒れ模様

昨夜から明け方にかけて、列島を縦断する前線が南下して、全国的に荒れ模様(関東では今日の午前中も)だったようだ。

ヘルマン・ヘッセの「春の嵐」という小説を中学の時に読んだことなど、ふと思い出した。
少年期に読んだ本は、いつまでも忘れないようだ。

2010年4月1日木曜日

高砂市の入浜権運動35周年の今年に思う

高砂市の入浜権運動が35周年と聞く。


昭和50年(1975年)2月に入浜権宣言を運動団体として、東京の集会で行われたという。
それから35周年ということだが、昭和48年(1973年)には、高砂市への住民団体の要望書として「入浜権」という言葉が用いられていたそうだ。

入会権というのがあるが、それよりもずっと広い意味で、住民の「海辺に出て、散策したり、景観を楽しみ、魚を釣り、泳ぎ、・・・」という行為を地域住民の保有する法以前の権利であった。この権利を保有することの宣言が行われてから35周年という。

漁業権などで、不特定多数の人が特定の場所で貝類とか魚をとることを禁じられていることがある。
それとは、全く異なり、工業化の進行の中で、工場などが土地の所有権と行政の許可をもって、砂浜を埋め立て、住民の海辺への立ち入りもできなくするという、流れに歯止めをかけようとした運動の意義は大きい。

砂浜が大規模に失われたことが、海の浄化能力を弱めているのではないかとする見方もあるようだ。

瀬戸内海の環境保護の運動も当時、高まっていた。

私が子どもの頃は、いなかでは牛を農家の方が飼っておられた。そうした家の子どもは、草を刈ってきたりすることが親孝行だったようだ。

人々が山へも、きのこや、風呂などの焚き物などを求めて立ち入り、川では(私の家の用水路は、5月から8月頃の間しか流れないが、小学校に入学前のころにコンクリートで整備され、その時に洗濯や洗い物ができるような降り場が作られた)洗い物など、生活のなかに、山や川があった。
当時は、山道や川への降り口など、多くの人が繰り返し、定期的に利用していたから、自然に保全されていた。

生活様式の変化で、川で洗い物などしなくなったが、合成洗剤等の普及が川や海の富栄養化という問題を引き起こした。
下水道の普及で、川や海の富栄養化の問題は改善しているが、景観とか環境、防災という面では、人々が定期的に立ち入らなくなったことで、荒廃という減少が、山でも川でも深刻になってきている。

35周年ということの集会も2月に高砂でおこなわれたという、報道記事を思い出しながら、種々考えさせられた。
高砂市の住民の方々が全国に先駆けて、「入浜権」運動をすすめられたことの意義は大きいし、細部で意見のちがいはあっても、継続して運動をつづけられた取り組みは貴いと思う。