2015年7月17日金曜日

台風11号の予想進路と台風12号もこれからの動きが心配

今朝8時の気象庁発表の台風11号の予想進路図と12号も含めて表示したもの。

台風12号もこれから心配です。


台風11号 当地ではさほど降りませんでしたが、道路の冠水などは発生

雨の降り方として、当地ではそれほどではなかったとも思えますが、道路の浸水などは起こっています。

道路に倒れかかった竹は切っておきました。

他の被害状況はこれから把握できることと思います。

全国には深刻な被害や犠牲になられた方もあるとのこと。
謹んでお見舞い申し上げます。



2015年7月16日木曜日

7月15日の福崎町の最高気温36.6℃ 全国2位 熱中症対策を十分に

暑かった昨日、福崎町の36.6℃が全国2位の最高気温だったと、今朝の神戸新聞が報じています。

熱中症対策をこれからも十分に。

2015年7月15日水曜日

戦争法案(安保法案)の採決強行の抗議に連帯して

澤地久枝さんのインタビューを中心とした番組が今年の早い時期にTV放映されているのを見たことを思い出した。

その番組で紹介されていた澤地さんの言葉を手帳にメモしていたのを見つけました。

「戦争体験風化の暦が今日も繰られてゆく」

「なんでもない人たちが、自覚をした時に世の中は変わる
絶望してはいけない」

今日の委員会採決強行が平和を守るための大きな転換点となるよう、ともにがんばりましょう。

戦争法案(安保関連法案)の委員会採決強行に思う 国民も無関心ではいられない

戦争法案(安保関連法案)を委員会で採決強行が図られたとのこと。

安倍首相は「国民の生活と安全を守ることが政府の責務」と言っているようだが、原発事故による住民の被害や生活再建の対策、他の災害に対する生活支援にも積極的に取り組んでいると思えない。

日本国の「自存自衛」という言葉、かつての「祖国の存亡の危機」という言葉の焼き直しとしか、思えない。
...
この内閣の暴走を食い止めなければ、この国が、国民の生活と安全が危ない。

また、この問題に無関心でいることが危険な内閣の術中にはまることと心しなければ」ならない。

 

2015年7月13日月曜日

日本の近代史(明治以後の戦争の歴史)がきちんと教育されてこないまま戦後70年を経過しようとしている

明治以後の近代史が教育されなかったことが、歴史認識の妨げになってきた。

政府はこの間、日本の行った戦争についてコメントせずに、後世の歴史家に委ねるという姿勢を続けてきた。

明治以後の歴史をどう教育するかという点で、史実にもとづいて侵略戦争の性格を認めるか、祖国防衛のための戦争であったという戦争当時の政府、軍部の主張にそって教育するかで、根本的な歴史認識の違いが起こることは明らか。
...
明治以後の近代史は大学、高校入試の対象とされずに戦後70年を経過した。

小学校、中学校、高校でも教科書に書かれていても、授業は明治以後についてほとんど行われずにきたのが全国的に主流のよう。

今、政府が近代史を学校教育でとりあげるべきということの危険は、日本が行った戦争を正当化しようとする立場ですすめようとしているのではないかという危惧があることだろう。

日本では明治(1868年)以後の約150年の内、1945年までの77年間が、ほとんどブラックボックスのように、意識的に学ぼうとする人以外にはなってしまったという感がある。

そして現代社会として日本国憲法を小中学校で学ぶが、日露戦争終結(1905年)後の1945年の敗戦までの経過、司馬遼太郎が「魔の季節」と呼ぶ40年間はあまり表面化されずにきたから、幸徳秋水らの大逆事件(国際的に大弾圧事件として知られる)なども、学校で学ばずにすみ、日本にも言論統制や思想の自由への大弾圧事件があったことが知らされずに義務教育や高校や大学の課程を終えてしまうことが起こり得るという状態が続いてきた。

戦後70年の節目の年に、こうした近代の日本の戦争について、国際的な視点も踏まえた研究がすすんだり、学校教育でも、破滅的な敗戦という事態へなぜ突き進んでしまったのかという、問いに答える性格の内容も平和教育の重要な一翼と思われる。

諸外国で積極的に70年前の戦争についての学校教育が積極的にすすめられているのと比較して、日本は消極的な姿勢というべきでないか。

 

2015年7月10日金曜日

「ふつうの国」で連想すること

「国威発揚」という言葉がスローガンのように叫ばれた時代があったよう。
「西洋に追いつき、追い越せ」というのもあったよう。

 日露戦争に「勝利」した高揚感が災いしたと思われる。
軍備が巨大化したこと。軍部の発言力が強まったこと。言論の統制、弾圧が強まったことが壊滅的な敗戦への準備となったことは日本の近代史の基本といえる。
...
「ふつうの国」をめざすというのも、明治後期の当時の気分をほぼ同じように再現したもののように思える。

自らを声高に、愛国者のようにいう人物は戦前にもいたが、今こそ歴史の教訓を大切にしなければならない。

良識ある新聞人が2度と戦争をあおるような誤りを繰り返さないと誓った時期があったことも忘れてはならないだろう。