2010年4月5日月曜日

丸池の桜




今日、午後、丸池(上中島のごみステーションに隣接野池)を見ると、桜が咲いていた。
普段、桜がここにあるなんて気づいていなかった。

2010年4月4日日曜日

町観光協会主催の観桜会に出かけて







昨日午後、町観光協会主催の観桜会に子どもと出かけた。
仮設ステージでの演目は、いずれも子ども連れでも楽しめる内容だったと思う。
好天に恵まれ、出演のみなさん、接待のお茶など、また諸準備にあたられたみなさんの労が報われたと思う。お疲れ様でした。
ステージを多くのかたに見ていただける場所への設定など、通路になっている条件の関係でむずかしいとは思うが、くふうできないかなと感じた。

清掃登山は福崎町でも多くの住民に実践いただいている

清掃登山という言葉を普及させたアルピニストとして知られる野口健さん。1973年生まれ。
外交官の父とともに少年期を過ごし、学業は振るわなかったが、16歳でモンブラン登頂を果たし、7大陸最高峰登頂ということで大学を入学し、1999年、25歳でエベレストを登頂に2度の失敗の後、成功し、すでに果たしていた南極を含む7大陸最高峰登頂という当時、最年少の記録をあげられた。(その後2001年5月には石川直樹さんが22歳で達成。さらに2007年には米国女性のサマンサ・ラーソンさんが18歳で達成したという。この人の父親も達成 しているという。)

野口健氏は大学卒業後は、エベレストや富士山の清掃登山にも積極的に取り組まれていることは広く知られている。
外国の登山者が清掃活動に取り組まれている姿を見、また日本の登山者の放置ごみを見つけ、持ち帰ったことなどから出発していると聞く。
彼の著名人としての活動が社会に良い影響をもたらしている。
こうしたことはさらに多くの人に広く知られるべきだと思う。

彼が登山に目覚めた動機が、植村直己さんの著書を読んだこととされている。兵庫県人として、うれしい。
最近テレビで見た、自身の「テントも寝袋も嫌い」という素直な語り口はユニークだ。

行楽のシーズンを迎えたが、町内の日光山などは、毎日のように登られている方があり、落ちているごみの持ち帰りなど実践いただいていると人づてに聞いた。
実際に毎年恒例の7月の観光協会主催の清掃活動に参加しても、近年ごみの量が以前とくらべてはるかに少ない。
ごみを放置しない心がけと、日々、日常の多くの人の善意の支えがないと、山も川も楽しめる環境を保てない。
町内の施設や山、川などで、自身で処理できないごみを発見されたときは、町役場(☎22-0560)へ,、もしくは私の方(携帯090-1950-6319 か 
携帯メールk-ishino@softbank.ne.jp  )まで通報してほしい。
「ごみがごみを呼ぶ」というように、ひどくならない内にきれいにすることが肝要と思われる。

2010年4月3日土曜日

ユニバーサルデザインとか


2003年度から、上中島の各戸に自治会の活動として、町のごみステーションのカレンダーを上中島用として、日付と収集のごみの表(燃えるごみは毎週、火・金で収集しない日のみを表示)を作って配布してきた。
 「わかりやすいごみのカレンダーの配布は、今年はないのですか」との問い合わせがあり、3月31日の午前中に各戸に配布、午後に写真のように、ごみステーションにも取り付けた。
ラミネートしているので、雨もしのげるし、コピーしたので日焼けしない。
上の写真はA3、下の写真の右はA3を上下2枚に分割して継ぎ足している。(写真をクリックしていただけると大きくなります)

町のごみ収集体制は当地区が D ということなので少なくとも4ブロック以上あり、さらにその中で粗大ごみの関係で4グループ程度に分かれているが、町配布のカレンダーは4種類以上をつくっていることはわかる。


カラーでなくても、2色刷りで、さらに半期ごとでも、大きな字で読み取りやすい方向に経費を活用する方が、いいのかもしれない。



西光寺野ため池群(長池、桜池など)ため池百選に選ばれる





町内の長池、桜池(上池・下池)などが西光寺野ため池群として、ため池百選に選ばれたという。
長池に上の案内板が2か所にそれぞれ、桜池にも上池と下池の間の西側通学路のところに設置された。
写真をクリックしていただくと大きくなりますが、字は読めるでしょうか。

2010年4月2日金曜日

メイストリームより早く、春の荒れ模様

昨夜から明け方にかけて、列島を縦断する前線が南下して、全国的に荒れ模様(関東では今日の午前中も)だったようだ。

ヘルマン・ヘッセの「春の嵐」という小説を中学の時に読んだことなど、ふと思い出した。
少年期に読んだ本は、いつまでも忘れないようだ。

2010年4月1日木曜日

高砂市の入浜権運動35周年の今年に思う

高砂市の入浜権運動が35周年と聞く。


昭和50年(1975年)2月に入浜権宣言を運動団体として、東京の集会で行われたという。
それから35周年ということだが、昭和48年(1973年)には、高砂市への住民団体の要望書として「入浜権」という言葉が用いられていたそうだ。

入会権というのがあるが、それよりもずっと広い意味で、住民の「海辺に出て、散策したり、景観を楽しみ、魚を釣り、泳ぎ、・・・」という行為を地域住民の保有する法以前の権利であった。この権利を保有することの宣言が行われてから35周年という。

漁業権などで、不特定多数の人が特定の場所で貝類とか魚をとることを禁じられていることがある。
それとは、全く異なり、工業化の進行の中で、工場などが土地の所有権と行政の許可をもって、砂浜を埋め立て、住民の海辺への立ち入りもできなくするという、流れに歯止めをかけようとした運動の意義は大きい。

砂浜が大規模に失われたことが、海の浄化能力を弱めているのではないかとする見方もあるようだ。

瀬戸内海の環境保護の運動も当時、高まっていた。

私が子どもの頃は、いなかでは牛を農家の方が飼っておられた。そうした家の子どもは、草を刈ってきたりすることが親孝行だったようだ。

人々が山へも、きのこや、風呂などの焚き物などを求めて立ち入り、川では(私の家の用水路は、5月から8月頃の間しか流れないが、小学校に入学前のころにコンクリートで整備され、その時に洗濯や洗い物ができるような降り場が作られた)洗い物など、生活のなかに、山や川があった。
当時は、山道や川への降り口など、多くの人が繰り返し、定期的に利用していたから、自然に保全されていた。

生活様式の変化で、川で洗い物などしなくなったが、合成洗剤等の普及が川や海の富栄養化という問題を引き起こした。
下水道の普及で、川や海の富栄養化の問題は改善しているが、景観とか環境、防災という面では、人々が定期的に立ち入らなくなったことで、荒廃という減少が、山でも川でも深刻になってきている。

35周年ということの集会も2月に高砂でおこなわれたという、報道記事を思い出しながら、種々考えさせられた。
高砂市の住民の方々が全国に先駆けて、「入浜権」運動をすすめられたことの意義は大きいし、細部で意見のちがいはあっても、継続して運動をつづけられた取り組みは貴いと思う。